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タイタニック『生存者のリアル証言!!』ひっそりと葬られていた驚くべき事実。

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  不吉な沈没船『タイタニック』

映画は忠実につくられているようだが、映画では語られなかった『生存者の証言』からの驚くべき事実があった。今日はそんなタイタニック沈没に関するコアな情報をまとめてみました。

BOO
まさに『事実は小説より奇なり』だ。

参考リンクはこちら↓

タイタニック号は建設中に『従業員8人死亡』していた。


タイタニック号は、建設中にも8人の死亡者が出ていたのだ。

タイタニック号の建造は、1909年に造船会社の『ハーランド&ウルフ』によって開始される。3,000人もの作業員と2年強の期間を費やしタイタニック号を完成させるが、その建設中に8人の労働者が事故で死亡。 ちなみにかかった費用は1億以上に相当するが、映画の製作費の方が高かったという事実。

当時の造船所では『10 万ポンドを費やすごとに 1 人が死亡する』という暗黙の予想があったため、建築中に死亡者が出るのが当然という認識もあったそうで、タイタニック号は、予想されていた 15 人の死亡者数よりも少なかったという。

BOO
死亡者覚悟で、タイタニック号は作られた。作る前も命懸けだったのだ。



タイタニック号に乗っていた技術者が全員死亡。




タイタニック号は、沈没するギリギリまで電気がついていたそうだ。

タイタニック号で働いていた船のエンジニア(技術者)たちは、船が沈む数分前まで遭難信号を発信するラジオを流し続け、船を照らし続けた。その結果、25人いたエンジニアたちは、誰1人として生き残れなかった。

BOO
船が沈む数分まで、死を覚悟で船の電気を提供し続けたエンジニアたち。誰ひとり逃げなかったのだ。

有名な資産王『最も金持ちな男性客は死亡。』後ろに並んでいた子に席を譲るため。




タイタニック号に乗船していた中で、最も裕福な男だった『ジョン・ジェイコブ・アスター4世』は、もちろん一級の客で、一番最初に助かるべき人物だった。

彼は、当時のアメリカの大富豪を象徴する人物で『世界最高の不労利益所得者』と呼ばれくらいの金持ちだったのだが、彼は助からなかったのだ。

彼は、母親に連れられて救命ボートに乗船しようとした10歳の少年が『もう子供ではない』と拒否されたのをみて、女の子の帽子をかぶせて『この少年は女の子だ!』と言い張って、自分の席を譲ったのだ。

BOO
さすが、370億ドルの価値持つ男はやることが違う。

沈没船から見つかった彼の遺体のポケットには、当時の2,440ドル (約600万円)相当の所持金があったという。



船と共に沈没し、自力でたどり着きオンボロの船で助かった女性。




タイタニック号の3等客で、10代の息子2人がいた『ローズ・メアリー・ボット』という女性は、タイタニック号沈没の際に海上に流れ出したボートで生き残ったたった1人生存者だ。

BOO
船になんとか乗れても、ほぼ水に浸水した状態の船で生き残るのは奇跡。

彼女は息子たちと一緒に救命ボートに乗れないことを知ると、ボートに乗ることを拒み、最後まで息子を抱えながら船と共に水に飛び込んだのだ。

沈没後、海の中に息子たちを見失ってしまった彼女は、自力でほぼ水没状態の折り畳みボートにたどり着いた。そこには30人ほど乗っていたが、ほぼ全員が凍死していく中で、彼女だけが生き残ったのだ。

最終的には、カルパチア号によって救出されるが、彼女はそのオンボロの折りたたみボートの中で生き残ったたった1人の生存者となった。

船のパン職人は『大量のウィスキー』を飲んでいたため生き残った。




タイタニック号でパン職人として働いていた『チャールズ ジョフィン』は、なんと大量のウィスキーんでいたことで助かった稀に見る生存者である。

BOO
映画でもこの男は登場する。生き延びていたとは知らなかった。

彼は、自ら先頭に立って三等船室を何度も往復しながら、女子供をボートへ誘導してした1人で、当時は、10号ボートの指揮(船漕ぎ)を割り当てられるというチャンスがありつつも、『自分は泳げるから。』といってボートに乗ることを拒否して、乗客を助けると共に沈みゆくタイタニック号に留まっていた。

しかし、彼は最終的に、助かる見込みがないことを知ると、死への恐怖を打ち消すために倉庫に入って、酒を飲むことにしたのだ。彼は、当初パニックになっている群衆の姿を見て怖くなり、その場で自殺も考えたが、船が傾いた瞬間に手すりつかまり、沈みゆく船のぎりぎりの瞬間まで船上にいた。

沈没後、ウイスキーを大量に飲んでいた彼は、冷たい海中に落ちても刺されるような苦痛を感じることはなく、2分以内に低体温症でなくなる人が多い中、彼は酒の力で明け方まで泳ぎ、救助された男だった。



奇跡的に助かった『たった1人の日本人乗客』のバッシング。




タイタニック号に乗っていたたった1人の日本人がいる。それが『細野正文』という男で、彼はただ1人の日本人としてタイタニック号に乗っていた。

彼は救命ボートに乗り助かった乗客で、当時アメリカのメディアから『幸運な日本人』と呼ばれていた。しかし、『臆病者』のレッテルを貼られてしまう。彼は、もっとも死亡率が高かった二等船室の男性乗客だったからだ。

また、証言者の見間違いから『救命ボートに乗りたいがために女装したのでは?』という噂も出てしまっていた。

BOO
助かったのに、バッシングを受けてしまう日本人。

音楽隊の犠牲者の遺族に『紛失したユニホーム代』を請求した会社。




タイタニックの映画でもあるとおり、最後まで演奏を続けた『音楽隊』が実在したのは有名な話だ。

しかし、亡くなった音楽隊の遺族に対し、雇用主であった会社側が沈没で紛失した制服代を請求していた事実が発覚する。遺体も見つかってないというのにだ。

タイタニック号に乗っていた音楽隊が働いていたのは、『CW & FN Black』という会社で、沈没からたった 2 週間後で『制服の請求書』を遺族に送りつけたのだ。

BOO
血も涙もない話だ。命を犠牲にしてまで働いた音楽隊に『紛失した制服代』を送りつけるとは。。頭がおかしい。

この話は紛れもない事実で、のちに遺族らは支払いを拒否し、ニュースレターに暴露、当時の人々は『CW & FN Black』という会社のの恐ろしさを目の当たりにする。



亡くなった『設計士』の記憶を持つ男の子。


タイタニック号の沈没と共に亡くなった『設計士』のトーマス・アンドリューズという男がいた。

彼は、当初から『救命ボートの数が足りない!』と異論を唱えていた1人でもあり、できるだけ詰めて救命ボートに乗ようとしていたという生存者の証言もあり、彼は責任を感じつつも1人でも多くの人を救おうとしながらも、そのまま海に沈んで亡くなっている。

しかし、この男の記憶をもつ男の子がいる。という信じられない話がある。

上のyoutubeでは、トーマスの前世をもつ男の子は、誰もが知らなかったタイタニックの設計の情報を次々と口にしながらも、沈没時に人々を助けられなかった記憶に苦しめられていた。どう考えても男の子の妄想というのも考えずらいほど記憶が明確で人々を驚かせ、のちに不可解な発言を残した後、成長と共に記憶を失っていったそうな。

BOO
顔がなんか似ているのも気のせいか。
これを書いた人
boo
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