こんにちは。3月1日からアメリカから日本に帰国しました。いやー非常に疲れた。1年くらい老け込んだワ。( ˙˂˃˙ )
ちょうど3月1日から『日本入国の暖和』のミラクルが起きて、到着当日に交通機関に乗れるようになってラッキー!!と思い帰ってみたものの、まだまだコロナの呪縛があるということで、帰国まで糞ほど大変だった様子を時系列でお伝えしたいと思います。(2022.3.1現在)
出国前に『72時間以内の陰性証明』ゲットしなければならん。
2022年3月現在、アメリカから日本へ入国するには、72時間以内に検査した陰性証明を取得する必要がある。これがないと飛行機に乗れないというかなり厳しい対策がある。しかも自分で予約を取ってやらねばならぬ。
さらにめんどくさいのが、日本の政府が出している独自の『陰性証明書の紙』をダウンロードして、その紙に検査したアメリカ人に書いてもらわないといけないという決まりがある。しかも検査方法もPCR検査の中のやり方が原則として決まっている。
ということで、下調べで『無料でコロナPCR検査』をやってくれるところ↑に行ってきたんだが、これがまた72時間以内(3日以内)ちゅー罠があって、結果が出るのが4日かかってダメだったし、書類も書いてくれんといわれてダメだった。しかも、無料コロナ検査施設は、土日休みのとこも多かったしな。
私の保険が適用になる『カイザー』の病院でもコロナ検査をやったんだが、まず検査方法がまちがってやられてしまいーの、書類を書いてくれるのは先生によるし保証できない。といわれてしまいーの。これも書類がげっとできず。。
最終的に、フライトの翌日にいった病院『gohealth urgent care』↓でギリギリでその日に『無料でコロナPCR検査』を発行してもらえた。しかも私の保険『カイザー』も適用なって無料でできた。
で、鼻血が出そうなくらい綿棒を突っ込まれて、15分待ったらすぐに結果が出て、持参した政府指定の書類をかいてくれて終わった。
ということで、その日のうちに『陰性証明書』げっとー!!!
いざ搭乗チェックイン!!『陰性証明』にはめもくれず。。
フライト当日にドキドキしながらチェックインする。
ポートランド空港にある『アラスカ航空』のチェックインカウンターに行くとおばちゃんがいたのでパスポートを見せる。その時に『陰性証明』も張り切って出したが、全然みてくれなかった。
ネット情報や日本の政府のサイトでは、最初の出発の国で『72時間以内の陰性証明』が認められなければ、搭乗ができない。と書いていたので、ドキドキしていたんだが。。いとも簡単にチェックインができてしまった。
また、LAの乗り継ぎで『乗り換え時間50分』という短さなのですが、、大丈夫ですかね?と聞いたのだが、『1時間位あれば大丈夫さ!』と軽く流された。 1時間じゃねーし(TДT)
なんか、乗り換え時間の短さに嫌な予感しかしなかったので、『預け荷物なし』にしていた。そして、これが後に『飛行機のれるかどうか』を揺るがす大きな鍵となる判断だった。
そして、いつもは、格安チケット会社で取った乗り換え便のあるチケットでも、最初チェックインすれば、最終目的地『東京成田』までの全部のチケットをもらえるはずなのに、、今回はロサンゼルスまでのチケットしかもらえんかった。。なんか不安。。。しかも乗り換え時間1時間しかないというのに。。
でも、まー飛行機には乗れたのでヨシとする。『ポートランド 』から『ロサンゼルス』の便は、乗車率は100%だ。隣の家族連れは『LAのディズニーランドに行くんだ♪』と終始はしゃいでいた。
浮かれ放題の家族とは対照的に、ダッシュで乗り換えないと『成田へのフライト』に間に合わないという試練を抱える私は、プレッシャーで押し潰れそうになっていた。(º﹃º)
LAXで乗り換えが1時間!!地獄へのカウントダウン『乗り換えのダッシュの道のり』
そして、時は昼の12時。予定時間通りにロサンゼルス空港に着いた。
しかーし、次の成田へのフライト出発予定が13時で、搭乗開始は30分前の12時半になる。ということは、12時半までに出発ゲートに行かなきゃならん。たったの30分で、到着の国内ターミナルから、国際ターミナルのゲートまで移動できるのか!?!短い距離にあることをねがーーーーう!!
で、結局、飛行機から降りられたのは、12時20分。きっとゲートでは搭乗開始がそろそろ始まっているだろう。。
で、出発ゲート157に到着したのが、12:40分。出発時刻の20分前。
数人搭乗している人がちらほらまだ見えたので、『あああ、、、間に合ったのか。。』と思い、ずっと我慢していたトイレを3分で便所にいき、搭乗ゲートに向かう。
ポートランドで来ていたニットの帽子がロサンゼルス空港では糞ほど暑くて場違いなことを今更知る。顔を真っ赤で喉をカラカラにしながら、ゲートのカウンターのおばちゃんのところに行く。(最初のチェックインの時、成田行きのチケットをもらえなかった為。)
この話の続きはこちら↓
でこんなんですったもんだがあり、『チェックインの時に荷物が預けていなかった』のが鍵となり、この戦い、いや、このオバちゃんに奇跡的に勝ったのだった。
で飛行機になんとか乗ると、日本行きなのに日本人が全く乗っていなかった。。なんで??コロナだから??
という疑問を残して、やっとこさ飛行機はなんとか離陸した。ああ、本当によかった。ギリギリのれて。。
日本に到着!!コロナ検査で外に出るまで2時間かかる。
到着後、誘導された先には、パイプ椅子あって、そこに座らせられ『契約書』などを書類を書かされたり『説明』をうけたりした。20分くらいかかったかな。
で検査が終わり、陰性証明をもらってやっと出てこれた。到着から、すでに2時間くらい過ぎている。
新幹線の終電を逃す!!『成田空港に野宿』を決行する。
飛行機が到着したのは夕方6時だったが、検査場で2時間くらい費やし、成田の到着ロビーへ出れたのは夜の8時。すぐに交通機関つかえるようになったのだが、もう今からだと新幹線の最終便にはギリギリ間に合わない。
もう時間に追われる生活は疲れたし、移動もしたくねーし、東京駅の周辺ビジネスホテルは昔お化けが出たとトラウマがあるので、泊まりたくない。
とひらめき、成田空港で野宿することにした。
で、今日の宿がこちらになります。ちなみに、寝れそうな椅子はこれしかなく、他は背の高いカウンター椅子だった。
この成田空港の野宿の話も後日別途でかくとする。
翌日にJRで東京駅へ。『交通機関』で普通に帰れる。
か、からだ中が痛い。そして、全然眠れなかった。。
成田の野宿ホテルをあとにして、早朝便で帰りまひょ。早く家に帰って寝たい。飛行機の中でも寝れなかったんでな。すでに2日くらい徹夜している気分である。
時は7時ごろ。成田から東京駅の電車は誰もいなかったが、途中から通勤ラッシュに挟まれる。
結論:電車が普通に使えた。しかーし終電逃すと成田空港は泊まれるがおすすめしない。
なんとか東京駅につき、無事に新幹線『つばさ』に乗って山形の実家に帰る。待ち構えていたのは雪。雪。雪。
新幹線では、高校卒業したばかりのおにーちゃんの軍団に遭遇し、座席キックという謎の罰をうけ、またしても寝れず、、死にそうになりながら山形の家に着く。
家路についてから『アプリで報告業務。』
ということで、家に帰ると『現在地報告&健康状態報告』が1日3回くらいやらないといけぬ。簡単な作業だが、地味にめんどい。
初日や2日目の移動では、ネットが使えなかったので、全く報告できなかったが問題なかったようだ。職員から電話もかかてくることはなかった。
ということで、今回の帰国は『ハラハラドキドキの旅』でした。もう2度とこんな目に会いたくない。コロナで勝手にフライトを変えれた上に、乗り換え時間が短すぎる場合は、マジで注意だ。