ハロウィンが近づくと思い出される事件がある。それが『ハロウィン日本人射殺事件』だ。
当時、ニュースでも大きく取り上げられ、アメリカと日本の『危機意識』の違いが浮き彫りとなった事件だ。今日は、事件のその後と『アメリカ銃社会』について自分の体験と交えながら話していこうと思う。
事件は『ハロウィン』の2週間前に起こる。
事件の日、ルイジアナ州で交換留学をしていた当時高校2年生で服部剛丈くんは、友達と2人でハロインパーティーに行くことになる。
しかし、2人はパーティーの家を間違えて、犯人となるロドニー・ピアーズという男の家の玄関のベルを鳴してしまう。犯人は、玄関先の2人を見て、『不審者』と勘違いし、服部剛丈くんを撃ち殺してしまったという事件だ。
犯人は、打つ前に『フリーズ!!!(動くな)』といったが、服部剛丈君が『プリーズ』と間違えてしまったんじゃないかという報道も多くあった。そこは個人的に腑に落ちないが。
服部剛丈くんが殺されてしまったのは、いろんな不運が重なったとも報じられている。当時は、服部剛丈くんは、通常のメガネもコンタクトもしていなくて、遠くがすぐに見えない状態だったという。そして、間違った家が、治安の悪いエリアにある銃を所有するスーパー保守の家だったということだ。
事件を知った服部剛丈くんのお母さんは、その場で泣き崩れたという。そして、アメリカで服部剛丈くんの遺体を引き取り、遺体は飛行機の貨物室の下にいる状態で、お母さんは眠れなかったという。
犯人は『無罪』になるも賠償命令。しかし全く支払わず。。
事件後、驚くことに犯人の正当防衛が認められ、陪審員の全員一致(白人10名、黒人2名)で、犯人は無罪となる。『アメリカでは、玄関のベルが鳴ったら、銃を手にしてドアを開ける法的権利がある。』という判決理由が、犯人の無罪につながったのだろうという。
ただ、犯人は、刑事訴訟では『無罪』判決になったが、民事裁判では、犯人の過失責任が認められ、犯人に対して65万3000ドル(およそ7000万円)を支払うように命じたのだった。
しかし、犯人は、遺族に対し、現在まで一切をお金を支払っていないというのだから驚きだ。服部君の両親に支払われたのは、犯人の家の住宅保険から支払われた10万ドル(およそ1070万円)のみだったのだ。
そして、犯人は『もう二度と銃を手にすることはないだろう。』とインタビューで言っているが、彼らは街から引っ越し、現在は消息不明なのでわからない。
当時のアメリカでの報道と海外の人たちの反応は?
この事件は、アメリカでも大きく取り上げられて話題になった。↑の動画が『アメリカ国内の当時の報道の様子』である。事件を受けてのアメリカ人たちの声は、驚くよりも『罪のない人が銃でまた巻き込まれてしまった。』という声が多かったという。
そして、服部君が留学していた先が、NYとかLAとかの都会ではなく、アメリカの南部の田舎の街『ルイジアナ』だったのも、アメリカ人たちが、悲劇の事件が起こったことに驚かないような場所だったという。
というのも、『ルイジアナ』は、人種的差別が根深く残っている場所もあり、黒人の人も多く暮らしながら、白人と黒人が仲良く過ごしているエリアではなかったということが言われている。
事件後、両親が署名を集め、銃の規制法『ブレイディ法』を制定。
事件の後、服部君の両親は、アメリカで銃の規制を求める署名活動を始めることになる。告別式に訪れた来た人に、アメリカの家庭から銃の撤去を求める請願書を配り、署名を依頼したそうだ。
活動を行うきっかけとなったのは、服部君の遺体をのせた飛行機の中で、睡れなかったお母さんは『何かしてくれ』という剛丈さんの声が聞こえたようが気がしたから。と他の記事で答えている。
そしてご両親は、『家庭からの銃の撤去を求める誓願書」という署名活動を始めてから1年で約195万人もの署名を集め、1993年に当時のアメリカ大統領クリントンに署名を渡したことで、「ブレイディ法」が制定したのだった。
しかしながら、『ブッシュ』に政権が変わると、せっかっくの『ブレイディ法』は失効してしまうという。。
日本人は、アメリカ人と同じ『危機感』を持つのは無理。そこが銃社会のヤバさだ。
アメリカという国は、一見、平和だと思える日常の中に、命を奪われるという異常性を潜んでいる。それが『銃社会』の怖さだと思う。
というのも、アメリカ人たちと一緒に暮らす中で、『うん?バンバンと外で音するな?花火か?』とキッチンから窓を覗いていたら、真面目な顔したアメリカ人シェアメイトが、冷蔵庫を盾にして隠れていたことや、ベットの下に『武器(銃)を隠し持ってないと安心して寝れない。』というアメリカ人がいた。
当時、私は『おい、おい、ここはポートランドだぜ?平和なエリアだぜ?なんでそんなにビビってんだ?』と思っていたのだが、アメリカ人からしたら『BOOの危機意識がやばい件。』で逆説教されたことがあった。
また、過去にシェアハウスに銃を持ち込もうとしたルームメイトがいて、超説得したのだが『自分の保身のため』ということで全く聞き入れてもらえなかったし、最近ではトランプが『銃を持った悪人を止めるには、銃を持った善人が必要だ』という始末だ。絶望的だ。
結局、ネイティブ銃社会で生まれたアメリカ人の『無意識に出る危機感』は、日本人の私がどんなに気を張っていても真似できるものだとは思えない。長年アメリカに住んでいても、アメリカ人のような『家の中でも常に狙われているようなスパイ』な危機行動はとれないし、何かあった時にとっさに『殺される!』と思える意識なんて、もてやしねーのが正直な感想だ。
だからこそ、日本ような銃のない社会がどんなに平和で気楽か。アメリカ人は思い知った方がいい。銃社会こそが『お互い疑い合う、気の張った社会』を作り出しているのだ。