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90歳のばーちゃんが通い詰める『寺コミュニティー』に脱帽した話。

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  今回の日本一時帰国は、本当に学びの機会であった。

アメリカに行ってもオーストラリアに行っても気づけなかったことが、すぐ近くの近所にあったという感じだ。これぞ、灯台下暗し。

BOO
人間最後に必要になってくるものは、コミュニティーじゃね?とばーちゃんの老後を見て本気で思う。

近所の『寺』にお茶飲みにゆく。



田舎に帰っても実はやることがない。はっきり言って寺しか行くところがない。

お墓参りを兼ねて、ばーちゃんの遊び先『寺』に行くことにした。

BOO
クソニート、90歳のばーちゃんが通い詰める近所の寺に潜入っ。



ここが、ばーちゃんが週一で『御詠歌の会』のために通う寺。小さな頃からよくみていたお寺だ。

いつの頃から寺に全く興味がなくなっていったが、その間もばーちゃんがせっせと通っていた。雪の日も、雨の日もどんな時もチャリンコをぶっ飛ばして、いつも通っていた。

その光景が目に浮かんでなんとも言えない気持ちになったが、ここは涙を押し殺して門を叩こうじゃないか。。

BOO
ばーちゃんと今、寺に来れることを嬉しく思う。



寺の『でっけぇ大根』に気を取られる。



寺の中は広い。

畳の匂いと線香の匂い。そして肌寒い感じが懐かしい。

背後から覗いていらっしゃる、いろんなタイプのお釈迦さまと目が合ってしまい、ちょっと恐怖を感じた。パトカーを見ると悪事してなのにビビる心理に似ている。

BOO
ここで、座禅を組んだことがあるが、邪念が多すぎて木の棒でバシバシやられていたなぁ。(トラウマ)



気を引き締めたままウロウロしていると、寺の前にあった『でっけぇ大根』に気を取られる。

和尚さんに『でっけぇ大根ですね!』うっかり話しかけてしまった。和尚さんは自慢そうに大根の説明をしてくれたが、、全然覚えていない。

こーいうところが木の棒でバシバシ叩かれる原因なのかもしれない。

BOO
言い訳すると、この大根になぞの後光が差し込んでいて感動していた。

人との繋がりが『寺』にはある。



いろんなものに気を取られながら、お寺の人とお茶のみをすることになった。

世間話から始まり、ばーちゃんのトイレの数が減った話やら、お釈迦さまの旅の話を聞いているうちに、『人間にとって最後、一番必要だと思うものが寺のようなコミュニティーの場じゃないのか?』すっかりそんな気がしてきた。

アメリカにも教会というコミュニティーがあり、お互い助け合える場所は世界共通にある。アメリカ人だろうが、日本人だろうが求めるものは一緒なのかもしれない。

また、これから老後が長くなり、おひとりさまが増える時代に突入していく。

そこで他人とどう関わっていくかが鍵になる。そんな時に寺のようなコミュニティーの場所があり、人との繋がりさえばあれば、楽しい老後を迎えられるんじゃないか。とばーちゃんを見てそう思ったのだ。

BOO
どんなにテクノロジーが発展しても、人間が最後に求めるものは人。そう思うと、一周回って『寺コミュニティー』は時代の先にいるんじゃなかろうか?
これを書いた人
boo
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