今回の日本一時帰国は、本当に学びの機会であった。
アメリカに行ってもオーストラリアに行っても気づけなかったことが、すぐ近くの近所にあったという感じだ。これぞ、灯台下暗し。
近所の『寺』にお茶飲みにゆく。
田舎に帰っても実はやることがない。はっきり言って寺しか行くところがない。
お墓参りを兼ねて、ばーちゃんの遊び先『寺』に行くことにした。
ここが、ばーちゃんが週一で『御詠歌の会』のために通う寺。小さな頃からよくみていたお寺だ。
いつの頃から寺に全く興味がなくなっていったが、その間もばーちゃんがせっせと通っていた。雪の日も、雨の日もどんな時もチャリンコをぶっ飛ばして、いつも通っていた。
その光景が目に浮かんでなんとも言えない気持ちになったが、ここは涙を押し殺して門を叩こうじゃないか。。
寺の『でっけぇ大根』に気を取られる。
寺の中は広い。
畳の匂いと線香の匂い。そして肌寒い感じが懐かしい。
背後から覗いていらっしゃる、いろんなタイプのお釈迦さまと目が合ってしまい、ちょっと恐怖を感じた。パトカーを見ると悪事してなのにビビる心理に似ている。
気を引き締めたままウロウロしていると、寺の前にあった『でっけぇ大根』に気を取られる。
和尚さんに『でっけぇ大根ですね!』うっかり話しかけてしまった。和尚さんは自慢そうに大根の説明をしてくれたが、、全然覚えていない。
こーいうところが木の棒でバシバシ叩かれる原因なのかもしれない。
人との繋がりが『寺』にはある。
いろんなものに気を取られながら、お寺の人とお茶のみをすることになった。
世間話から始まり、ばーちゃんのトイレの数が減った話やら、お釈迦さまの旅の話を聞いているうちに、『人間にとって最後、一番必要だと思うものが寺のようなコミュニティーの場じゃないのか?』すっかりそんな気がしてきた。
アメリカにも教会というコミュニティーがあり、お互い助け合える場所は世界共通にある。アメリカ人だろうが、日本人だろうが求めるものは一緒なのかもしれない。
また、これから老後が長くなり、おひとりさまが増える時代に突入していく。
そこで他人とどう関わっていくかが鍵になる。そんな時に寺のようなコミュニティーの場所があり、人との繋がりさえばあれば、楽しい老後を迎えられるんじゃないか。とばーちゃんを見てそう思ったのだ。