アメリカにたった一人で渡り、まさに『アメリカンドリーム』を掴んだ人たちがいる。
今日は日本ではあまり知られていないが、アメリカで成功した日本人を紹介。
アメリカのステーキチェーンで大成功!! 紅花の創業者『ロッキー青木』
アメリカンドリームを掴んで有名な男といえば『ロッキー青木』だ。
19歳の頃に一人で渡米し、アイスクリーム屋台から『日本式ステーキレストラン』を立ち上げて大成功した男である。
今では、全米に70店舗近く展開する大手チェーンレストランでもあり、アメリカでは有名な億万長者だ。
ロッキー青木の始めた『日本式ステーキレストラン』が成功したと言われるのは、シェフが行う客の前で行うパフォーマンスである。当時は、珍しさもありあっという間に人気になっていったのだ。
実際、このレストランはオープン後わずか 6 か月でもとがとれるくらい順調で、その後どんどん拡大していくことになる。
しかし、調べてみると彼の死後、莫大な遺産を巡って義嫁と子供たちが揉めに揉めていたのが悲しいところでもある。
アーティスト『草間彌生』NYに本人ロボット登場。
『草間彌生』はアメリカの有名アーティストの中でも代表されるくらい『アメリカンドリーム』を掴んだアーティストとして名高い。
彼女は小さいころから『統合失調症』による幻覚に悩まされていて、1957年に自分の作品をすべて焼き捨て渡米するも、最初は全く相手にされなかったのだという。
無名時代から彼女の注目されることになったきっかけは『奇抜なスタイル』だ。全裸の男女に水玉をボディペインティングする『ハプニング』行うなどその奇抜さで非難されたりもしていたが、今では彼女の評価はかなり高い。
アメリカで初の日本人男性!!『ジョン万次郎』
アメリカに初めて移住した日本人が『万次郎』という男だ。
彼は小さな漁村の貧しい家族に生まれ、カツオを取るために出漁中に遭難しアメリカの漁船に助けられ、船長の好意でアメリカの教育をうけ、アメリカ人からはジョン・マン(英語:John Mung)という愛称でも呼ばれながら翻訳家として活躍していたのだ。
よくかわからない外国人を受け入れる船長もすごいなと思う。
実際のところ、当時の日本は鎖国状態で日本に帰れないという状況が初の『日本人移住者』のきっかけになったのだ。
アメリカに寿司を広めた!!『金井紀年』
アメリカに寿司を広めて大成功をおさめた人がいる。それが『金井紀年』という男だっだ。
彼によって、アメリカで日本食が普及したと言っても過言ではないくらい『アメリカンドリーム』を掴みながら、その後の日本人移住者に大きなチャンスを作ってくれた男でもある。
当時、アメリカで寿司が一般的に受け入れられるようになるには、相当な努力が必要だったのだ。彼はメニュー試作を繰り返しながら『カリフォルニアロール』を開発し、寿司を普及させていった立役者になったのだ。