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シリコンバレーの歴史には『8人の裏切り者』がいた!!スタートアップ誕生の裏話。

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  シリコンバレーは、世界規模のスタートアップを排出してきた場所だ。

今日は、シリコンバレーの歴史を調べたら、驚くべき人間ドラマがあったので紹介しようと思う。

BOO
『シリコンバレー』は、裏切り者の8人で作られた街だった。

8人の裏切り者が生み出した街『シリコンバレー』


シリコンバレーという場所は、昔は、ほとんどが農地で、主にサクランボ、アプリコット、ナシ、モモの果樹園の生産地で、周りにはポツポツ缶詰工場あるだけの場所として知られていた。

その後、1957年に8人の起業家が『Fairchild』という会社を創業してから、シリコンバレーの核となる『ハイテク産業地域』に変わっていくことになる。

この8人の起業家は、26歳から33歳の博士号をもつ若者の集まりで、『上司が糞すぎるから、会社を辞めて自分達でやろう!』と1957年に Fairchild Semiconductor を共同設立した仲間だった。

のちに、会社一気を集団で辞めたということから、この8人は『8人の反逆者(the Traitorous Eight)』または『8人の裏切り者』とも言われることになる。

[ Fairchild社ロバートノイス博士の最初の集積回路を発明は、「シリコンバレー」の半導体産業に革命をもたらし、のち、世界中の人々の生活に大きな変化をもたらしました。 ]

新しく立ち上げた会社で、彼たちは、将来の重要な発明とされる『マイクロチップの開発』していき、最終的は仲間達は離れることを決めたが、そこで作り出した発明や財団は、その後の大きな元となり、シリコンバレーという土地が発展したのもこの8人のおかげだと言われている。

そもそも、彼たちが開発していた『マイクロチップ』は、当時はまだ普及していなかったが、現代では至る所にある。車、コンピューター、テレビ、携帯電話、電化製品、リモコンなどに埋め込まれ、平均的な家庭には、マイクロチップは約1,000個はあるとされるくらいの発明だったのだ。

BOO
たった一つのマイクロチップの開発が全ての産業を変え、文明が一歩前に踏み出すきっかけになったのだ。




実際に『シリコンバレー』に住んだ感想!! いいところ&悪いところ。


シリコンバレーは今や『グーグル社』『インテル社』『Adobe社』『フェイスブック社』『Apple社』『Yahoo!社』など世界を牛耳る『テック企業たち』が一大拠点となっている場所でもある。

そんなシリコンバレーという土地に私自身は住んだことはないが、実際に住んだ人の感想を下のリンクから、翻訳で紹介していく。


まず、シリコンバレー実際に住んでわかった悪いところは、渋滞だ。仕事までに毎日4時間かける人もいる。渋滞がやばい為に、何百マイルも離れた場所に住んでいて、シリコンバレーに飛行機で通って、 仕事が遅い時は、安い部屋に泊まる人までいる。

次に、学校、レストランは常に満員で人口密度が高く、生活費は非常に高い。ビーチに行くだけでも駐車料金がかかるし、固定資産税も高い。

また独身の男性率が高く、地味な見た目の女性1人につき、金持ちの男性は5人だ。人の関心は、ビジネスと政治についてのみだ。多様性は良いことだが、移民も多くマナーが滅茶苦茶な人も多い。


良いところは、ワインがうまいし、料理が多国籍でレベルが高い。ベトナム料理、カンボジア料理、タイ料理、日本料理、中華圏、インド料理なんでも食える。(ただしメキシコ料理はまずい。)

天気が最高に良い上に、最高のサイクリングとセーリングが楽しめる。

他の州と比べ、桁違いな高給の仕事がたくさんあるので、シリコンバレーで働いた後は、ここから抜け出し、他の場所で王族のように暮らすことができる。

BOO
まとめると、シリコンバレーは、渋滞がひどく、物価も人口密度も高いが、男が多くモテない。しかし天気は最高で飯が旨く、他の週に行けば金持ちになれる。ということか。

2020年以降『シリコンバレーは死んだ。』と言われる理由。

シリコンバレーは、何十年にもわたって、テック起業家を目指す人々にとって最高の場所だったが、2020年以降、『シリコンバレー』は終わりを迎えているのではないか?と唱える人も多くなってきたのも事実だ。


2018年にシリコンバレーの会社を最初去った、有名創業者の『ピーター・ティール』はシリコンバレーの終焉が近いと予想していたが、コロナになるまで誰も信じなかった。

しかし、2020年ごろから、シリコンバレーに住んでいた起業家たちが続々と他州へ移っていく現象がはじまり『シリコンバレー』は終わりを迎えるのではないか。という噂は現実味をおびてきている。

シリコンバレーから出た有名な起業家たち一覧

イーロンマスク(テスラ社)、ジョー・ロンズデール(パランティア社)、ドリュー・ヒューストン(ドロップボックス社)
→ テキサス州オースティンへ。

キース・ラボイス (Founders Found)
→ フロリダ州マイアミへ。

ラリー・エリソン (Oracle)
→ ハワイ、ラナイへ。

アレックス・カープ(パランティア)
→ コロラド州デンバーへ。

BOO
街や会社が成熟すると、新しいモノが生まれなくなる現象はなんでだろうな。果物のようだ。




『シリコンバレー』=『竜宮城』じゃないのか?




昔、私がシリコンバレーを訪れた時は、爽やかな気候で、風に吹かれる高いヤシの木、上を見上げればどこまでも続く青い空が広がっていて、希望に満ち溢れた夢の国にきたかのようだった。

そんな雰囲気の中にいるだけで『自分はなんでもできるんだ!』という無限の自信が湧き出る気が感じたし、できるものなら、そこに住んでいたい欲望が常にある。

しかし、ちょっと冷静になって考えると『夢から一生冷めない』危険性を潜んでいるんじゃないだろうか?と思ったりもする。それは浦島太郎現象のような、そこから出たくないが為に本来の目的を忘れてしまっている人になる危険性もあるんじゃないかと。

ということで、私からしたら、行ったら2度とシラフで帰ってこれない場所が『シリコンバレー』という場所だ。

BOO
てか、ふつーに高くて住めねーわ。。(´▽`) '`,、'`,
これを書いた人
boo
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