今、ネットフリックスで配信されている話題の殺人鬼『ジェフリー・ダーマー(モンスター)』は9月にリリースされてから、急速に1位になる。
この物語は、アメリカ中をを震撼させた『殺人事件』が実話になっていて、17人もの犠牲者だした残酷な出来事を忠実に再現していることで、配信前から物議を醸し出していた。
ネットフリックスの作品では、犯人や親の心情などの様子がぼやけていたが、当時のニュースを調べてみると、当時のジェフリー ダーマーと両親のインタビューが今だに残っていて、その様子が作品よりも衝撃的だったので、紹介します。インタビュー内容もかなり衝撃的なので、人によっては観覧注意。
チョコレート工場に勤務!!ミルウォーキーの食人鬼『ジェフリー・ダーマー』の残忍な事件。
まず、ネットフリックスの題名でもある『ジェフリー・ダーマー(モンスター)』とは、1970年代後半からアメリカ合衆国を騒がせた、連続殺人犯の男性である。
彼は、小さなチョコレート工場で働きながらも、自分の好みの17人の若い男性を誘惑した後、殺害、屍姦や人肉食を行ったことから『ミルウォーキーの食人鬼』という別名で呼ばれるなど、アメリカ史上最も残忍な犯罪を犯した連続殺人犯で知られる。
幸せな幼少期から『内気な子供』へ成長する。
残忍な犯罪を繰り返した『ミルウォーキーの食人鬼』こと、ジェフ(ジェフリー・ダーマーの通称)は、どんな人物だったのか?
調べてみると、彼はウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれて、中流階級の家庭に育った子供だった。父親は化学者、母は高学歴で有能な女性で、カウンセリングの修士号を取得し、さまざまな管理職に就いていた。
当時の父親のインタビューによると、ジェフ(ジェフリー・ダーマーの通称)の幼少期は、父親を見つけては、駆け寄ってくるような幸せな子供だったと話している。動画内のホームビデオを見ると、三輪車が好きで、父親の自転車のサドルのあたりに乗っていて、家族と親しい関係にあり、両親といるのが大好きな普通の子供時代が見て取れる。
母親も出会った頃はとても社交的で明るく、愛くるしい女性だったという。しかし、ジェフを妊娠した時に発作型の精神的な症状を発症し、薬漬けの日々に。その後、夫婦仲は悪化していき、離婚となる転機を迎えることになる。
離婚となった時、高校生のジェフは動揺し常にお酒を飲むようなっていったという。そして彼の家には誰もいなかった。母親が弟だけを連れていってしまい、ひとりぼっちで家に住んでいた期間がある。
父親の後悔『死骸採集を早くに知っていれば、、ヘルニアの手術をしていなければ。。もっとあの時。。』
ホームビデオをみると、幸せな子供時代のようだが父親の知らない顔もあったという。
父親がインタビューで話す通り、ジェフはとても内気な少年で、昆虫採集用の化学薬品セットにのめり込んでいた少年だったが、12歳の頃になると、道端の動物の死骸を解剖しホルモン漬けにしていたという。事件発覚まで、父親も知らなかったジェフの幼少期で、もしそれを知っていたらすぐに対処していただろう。と後悔の念を話している。
他にも父親の後悔は、ジェフが4歳のときに性器付近でヘルニア手術を受けたことで、その時から性格が変わってしまったようだということ話している。
父親はそう話す一方で、ジェフは精神的に不安定な少年として成長していったのは、家庭を顧みなくなった父と精神的に不安定で癇癪持ちのネグレクトの母の環境が大きいという声がある。
ジェフリー・ダーマーの弟は、名前を変えて幸せに生きている。
ラリーキングのテレビ番組で、ジェフリー・ダーマーのお父さんと義理の母がインタビューに答えている映像がある。
そこでは、ジェフリー・ダーマーの7歳下の弟のことについて話す場面もあった。
弟は事件後から、メディアには一切出ず、名前を変えて生活しているのだが、義理の母によると『彼はキャリアがあるから、名前を変えて、公言しないようにと約束した。彼は今幸せで、子供がいて全てうまくいってるの。』と話している。
その後、母親が自殺未遂を繰り返し、乳がんで死亡。
事件が発覚してから、ジェフの母親は、父親よりもメディアには出ていなかったのだが、唯一のインタビューでは、事件後、ジェフがなんの精神治療を受けていないことを心配していた。
母親は、ジェフが刑務所に入れられた後、週1度で息子と電話で話していたのだが、ジェフが刑務所で殺害された後、息子の誕生日に、自宅のガレージで一酸化炭素中毒による自殺を図り、一度は助かるものの 64歳で乳がんで亡くなったのだ。
母親が自殺未遂の時に書いたメモで次のようなことを残している。
ジェフリーの死後、母親は『脳を保存し研究対象』に。。しかし父親が断固拒否!!
ジェフは、同じ刑務所にいた囚人に撲殺されるという死を遂げたのだが、彼の母親は死後、『脳を保存して研究してほしい』と要求。
しかし、父親は、ジェフ本人が火葬を望んでいたとして断固拒否。
事件後の本人インタビュー『抑えられない衝動』という支配欲。
事件後の服役中に、ジェフリーダーマー本人が初めてインタビューで語る様子が残されている。インタビュー中の『ジェフリー・ダーマー』は、とても明確で知的で、逆にそれが恐怖だったと語られている。
インタビューに淡々と答えていくジェフ。インタビューでは『残忍な犯行をしている時に常に間違っていることをしているという気持ちがあって、最初の殺人は計画的なものではなかったと話している。また、彼は、思春期を迎える14,15歳ぐらいになると、自分の思考が周りと共有できないと思い、仮面を演じるようになった』と話している。
最初の犯行というのは、ジェフが高校3年生の時に1人で暮らしていた期間に、18歳のヒッチハイクの少年を首殺害した後、実家の庭の排水管に隠した事件だ。
その後、9年間、彼は殺しをしていないが『何が彼の衝動を止められたのか?』という問いに『それは、自分の望むようなきっかけがなかったからだ。その後ポルノを書店でみて、ゲイバーに通い、そこで見つけた彼と一晩すごしたが、自分の知らないうちに殴り殺していたのだ。その時に力がみなぎる感覚とコントロールできているという自信がついた。』と話す。
しかし、彼は、その事件をきっかけに加速していく。人殺しでは満足できなくなった彼は、写真を撮ったり、人食、屍姦などますます過激なっていったのだった。
その行動に対して彼は『それは、僕にとっての犠牲者たちの美しい体を思い出させる方法であって、同時にメモリアル的な儀式。それは強迫性障害で、奇妙でいつも頭を離れないとりつかれたような欲望だった。』と話している。
彼は、15、16歳の時に『支配的な性的な空想』に取り憑かれて以来、それが実生活で叶った時の喜びや恐怖が混ざりあう興奮が抑えられないという。そして、それが自分の一部だということを感じさせる方法が『食べる』という手段だったのだ。
彼は最後に、すべての殺人と殺害後の儀式の理由を、
と常に答えている。そして、『もし今、釈放されたら、同じようなことをすると思う。もうその欲求は、無くなったと言えたらいいが、まだそのような気持ちはあるよ。』とはっきり答えている。
そして、殺害後は、常に骸骨をキャリケースにいれて持ち歩き仕事のロッカーに入れていたが、それは常に自分と一緒にして保管おかなければならないという強い欲望からで、究極的な願いとしては、『生きている人間のように、ゾンビのように生き返らせたい』と気持ちで、色々やったが、生き返らせることができなかったと語る。殺しや虐待が目的ではなく、完全に僕のコントロールできるゾンビを作りたかった。ということを話している。