私は『欲しいものを欲しい。』と言えない捻くれた性格である。
小さい頃からわがままな妹に欲しいものを取られてきたので、欲しいと思った瞬間から欲しいと主張するよりも欲を押し殺す方が楽であるという方程式が確立してしまった。
日本では兄弟が多い人はそんな人が多い気がする。しかし、日本で自分の欲を押し込める『自己犠牲』の精神はアメリカでは理解されず、今になってアメリカ人に『意見がない変な人』と日本にいる時よりも苦しむとになる。
アメリカで評価されない『自分の欲望を押し殺す』ということ。
日本にいれば『自己犠牲』の精神は、理解してくれる人がいる。
しかし、アメリカに来たら奇妙な存在でしかない。アメリカでは自分の主張を伝えるのが当たり前であり、自分の欲しいものをしっかり主張できなければ、誰も理解してくれずにそのままになることが多い。
以前、職場のシフト争いで『私はいいから、他の人を優先させてくれ。』と言ったところ大ボスに『他の人のことはどうでもいい。お前の希望を知りたい。』と聞かれ、最後まで言えず大ボスに変な顔をされた。
自己犠牲の心は、誰もにも評価されずに貧乏くじを引いた感じになって終わりなのだ。
アメリカ生活で気づいた『本音を言えない自分』との葛藤。。
私の悪いところは、自己犠牲が中途半端なのだ。。あまりにも自己犠牲が過ぎてしまうと爆発してしまうというめんどくさい面倒臭い性格なので、ある程度『自己犠牲』を制御しなければならない。
日本にいた頃は、『自己犠牲』を気遣いだと察してくれる人たちがいたが、アメリカだと本気で『それが本人の希望』だと思われていいように使われてしまうことが多く、どんどんどん底にハマっていく自爆しているのだ。
日本人はもう少し『わがままになってもいい』のかもしれない。
『欲しいものを欲しい。』と言う。そんな簡単なことができないないのは、私だけではなく日本人の特有の性質なのだと思う。そんなことが言えたら、人生楽だよなぁ。。とアメリカ人が羨ましく思ったり、時にはイラついたりもする。
私が『アメリカ人ってがわがままだよなぁ』と日頃思わずにいられないのも、自分自身のわがままを許せていないから来てるんじゃないかと思うので、『嫌われれもいい。わがままに生きる』ということ人生のテーマに生きてみようと思う。