日頃色んな人からどうやったら英語を話せるようになるのか。と聞かれます。「早く日本から離れて、海外に出るべきかな?」とも相談されます。
私は、アメリカに住んでいて、仕事も英語を使う機会が多いですが、いまだに全然英語が上手に話せるわけではないし、今でも英語に対する劣等感が拭えずに毎日その劣等感と葛藤しています。恐らくこのサイトを見に来てくださる人はみな、日常の中で何かしら英語に触れ同じように奮闘していたり、これから英語を頑張ろうと思っている人たちだと思います。
そこで、今までの私の経験から、どのように英語に向き合って英語を話せるように努力しているかを書きたいと思います。
英語話せる人はかっこいい?尊敬する?最初に英語に触れたきっかけ。
私が日本を離れてもう少しで1年になる。久しぶりに英語について振り返ってみる。そもそも私が英語と出会ったのはいつだっただろうか。
私が本格的に「英語」を意識したのは、中学に進学した1年生の頃。クラスの担任が偶然、英語の教師だった。当然ホームルーム時の担任からの話も「英語」に関する話題が多く、私は担任にいっぱい気に入ってもらいたいと、その担任が勧めて貸してくれた「洋楽」というものを初めて聴くこととなった。
それから洋楽にすっかり魅了された私は、お小遣いをもらって初めて洋楽のアルバムを買った。CDショップでAvril Lavigneのデビュー・アルバムを手に取りレジに向かう自分が、同世代より少しだけ大人でかっこいい気がした。
偶然にタイミングが重なって、その年の冬家族でグアムに旅行にすることになった。覚えたての英語をお披露目する絶好の機会となった。
「英語」という別の音を使っているだけで、実は話していることや考えていることは日本の私達となんら変わらないことが、不思議で仕方なかった。しかし、英語に触れる機会や興味があったものの成績の方はいつも真ん中かそれ以下で、勉強はあまり好きではなかった。それよりは曲を作ったり、脚本を作ったり、イベントのパンフレットなんかをデザインすることに時間を費やしていた。
留学経験諦めても『独学で英語を話せるようになりたい!』と思うようになる。
高校2年の時、両親にお願いして、オーストラリア研修に行かせてもらえることになったのだが、ホームステイ先の若い夫婦にたくさんお世話になって、この頃から実際に生活してみて、英語をもっと話せるようになりたいと思うようになった。ピアノを習っていた私は、英語の音でも音の出し方がわかれば表現するのは簡単だと思っていた。
高校から大学に進学する時期、私はなんとかアメリカに留学する方法がないかと考えていた。百姓一家の父親をもつ一家に生まれた私は、当然海外に行ったという親戚もいなくて、大学からアメリカに行く方法なんてひとつもないんだと思って諦めたが、それでも英語から離れまいと日本の大学進学後は海外から来た留学生の生活をサポートをするボランティア団体に所属した。英会話スクールにも1年だけ通っていた。
今『毎日英語に触れる環境』があっても英語から逃げないことが大切だった。
あれから10年が経ち、私は今、カナダで毎日英語に触れる生活をしている。一緒に暮らすルームメイトとのコミュニケーションも英語だ。留学経験の無い私が英語で仕事をしている。
最近、日常の大半を母国語以外の言葉で過ごすようになった私は、また少しずつ英語への意識が変わってきたのを感じている。それは「劣等感」という別の意識に形を変え、特にビジネスの場に置いて私に容赦なく振りかかる。スピードを重視される仕事のシーンにおいて、英語が邪魔をしてなかなか思ったように仕事を進められない時がある。
メッセージのやりとりに行き詰まった時は、冷静になるためにそっとスマホをしまう。英語から逃げて良い時と逃げてはいけない時があって、逃げて良い時はこうして鞄の中にスマホをしまってしまえばいいけれど、ビジネスにおいてそうはいかない。それは誰かに頼れるものでも決してなくて、ひたすら自分の不出来と向き合い続けなければならない。
興味半分で楽しんでいた英語とビジネスの場の英語の現実は相反するものだったけれど、それでも私は英語を使い続ける道を選ぶようになった。私は帰国子女でもない、留学経験もない純ジャパだけど、今こうしてなんとか生活をしています。
結局『英語はどうやったら話せるようになるか。』
それは一時も、英語の環境にいても、いなくても『英語のことを忘れない。』ことだと思う。私は学校のテストの点はあまり良くなかったけれど、英語への興味を片時もなくさなかった。英語学習は定量的に図るものではない。どれだけその習得が必要に迫られ、努力したかが英語習得に繋がる気がする。
今もなお私は英語に対して毎日劣等感を感じながら、ミスコミュニケーションのために何度泣いたか、もうわからない。それでも私は英語を諦めないということが大事だと思う。
英語は、自分の『幸せになるために』表現する一つの手段として考える。
英語が必要かどうかは人によって本当に変わる。英語に一生触れぬまま、日本で豊かな暮らしをしている人たちを私は知っている。日本で暮らし日本で仕事をする上で英語が重要とされる瞬間なんて正直ほんの些細なものでしかない。私は英語学習をグローバル人材になるために、とか、日本の将来のために、なんてことを考えたことは一度もない。
私にとって英語は、自分を表現するひとつの手段だと考えている。自分の考え方やデザインをアウトプットするのに、英語はシンプルさ、ロジカルさ、汎用性の高さという面から私に手を差し伸べてくれる。
最近は、私にとって劣等感となってしまったこの「英語」が、うまく使えない時があっても、絶対に英語を使うことを逃げないようにする秘訣は、自分にとって英語は、幸せになるためのツールだと考えることだということに気が付ついた。だから、どんなに劣等感に陥っても、恥ずかしい思いをしても英語を使い続けるのだ。
英語のために留学すべきか?は自分の原点にかえってみるべき。
私は英語で自分の気持ちを外界に出す、私はデザインで自分の世界を描く。日本語では気を使ったりして、上手く人に言えなかったことが英語でするすると伝えられる。言葉に表せない気持ちは更にデザインに込めて表現をする。
そして今、そのアウトプットに対して届く日々のメールの5割が英語で綴られるものになった。会話する8割が、時には100%が英語になった。私にとって英語は既に生きていくのに必要不可欠なツールになってしまっている。
海外に行くべきか、英語を学ぶべきかと悩んでいる人は、一度原点に立ち返り、考えなおして見てほしい。それが幸せになるために自分にとって英語が必要不可欠なものかどうかを考えてみてほしい。その決断は、その後あなたが幸福な人生を得るためのツールになるし、決して英語を話すことに必要な諦めない原動力となる。
『たくさん失敗すること』が早く英語を話せるようになる近道になる。
英語を話さない人は、こちら側のビジネスでは使い物にならない。大人の会話が理解できないおこちゃまは「早く寝室に戻りなさい。」と話の輪からそっとほおり出される。どれほど日本で優れた技術を持っていても、一定の英語力がなければそれをお披露目する機会すらもらえない。
英語という音が響き渡る世界に、なんらかの利益をもたらす者だけが住民になることを許される。そんな当人たちは自分自身をグローバル人材とすら思わないだろう。
先日私は英語で15分間のプレゼンをした。カンペなしには覚えられないほどの量の英語で。話し終わって私は、ほとんどの視聴者の意識が完全に別のところへ行ってしまっていたことに気付いた。複数人や大多数を前にした時話すことに必死で、相手の表情を見れない瞬間がある。話した後にひどく落ち込むこともあるけど、それでも話すことを止めてはならないと思った。この世界に足を踏み入れた以上、音を発することを怖がってはいられない。
日本語なら忘れることのない曜日を、英語で言われた後で頭のどこかからすっぽりと抜けてしまう。日本語なら簡単に説得出来ることも、相手に理解を得るのに何倍もの時間を要してしまう。小学生みたいな間違いをおかす時がある。意地悪なことを言われたり、悪い発音に嫌な顔をされることだってある。しかし、その悔しい経験が、一回で覚えたり、英語を話せるようになる近道になると思う。
そんな私は今英語と真っ向から向き合っている。日々悔しいことだらけで、毎日逃げたい気持ちを抱えながら向き合っている。ううん、本当は逃げてる時すらある。それでもこうやって向き合う姿勢を崩さない。年後の自分がこの劣等感から解き放たれているだろうとは決して思わないけれど、今のあなたの頑張りが必ず報われる日が来ますように。