私は今、虚無ニートだ。
去年ぐらいまでは、興味あることを全部やりたいタイプの積極系ニートで、やりたいことや目標が常にあり、忙しくしていた。
でも去年から続いた不運で、それが全部なくなってしまった。何をやっても違う。体の感覚がなくなっていくような虚無感が常にある。
このまま完全に無職になったら、もっと病む。だから今は、好きなバイトを数日だけ入れているのが現状だ。
そんな状況なので、「嫌な仕事はすぐ辞める」という癖だけは加速してしまった。

虚無感ニート中に出会った『昭和気質な年下店長』

そんな中働いているバイト先で、ひと回り以上年下の店長と出会った。平成生まれの、いわゆる“ゆとり世代ど真ん中”。なのに中身はやけに昭和。
虚無ニートの私と真逆のタイプで正直、第一印象はちょー最悪だった。

心の声を押し殺しながら辞めるタイミングを見計らっていた。
この店長、逃げないっ。ある日、ちょっとしたトラブルがあった。普通なら、誰かに押しつけたり、誰かのせいにしたりしてもおかしくない場面だった。彼もまた、なんかしらの言い訳つけて、なあなあに責任転嫁するんだろうなぁ。。と思っていた。
でも店長は、一切言い訳しなかった。「これは自分のミスです」って、即座に認めて、その場で謝って、すぐに改善の動きを取った。しかも、それを“特別なこと”としてやってる感じがなかった。
また、彼は年上の扱いづらい従業員も多い中、ひとり、ひとり真剣に向き合いっていた姿も印象的だった。
そんな姿の店長に、気づいたら人として尊敬していた。今も口は悪いし、ぶっきらぼうで説明も上手くない。それでも、少しずつ変わろうとしているのが分かる人だった。

彼たちは決して『犠牲』の部分を見せないが、周りは気づいている。

いつの間にか、バイトを辞めてやろうという気持ちから「彼を応援したい」という気持ちが湧いて出てきた。
この店長なら信頼できる。この店だったら、知り合いなどの働き手をどんどん紹介したいと思ったし、実際に密かに誰かが辞めそうなタイミングで、人を紹介したりした。
しかし、私がそんなことしなくても、店長が困ったときには自然と人が集まる店になっていた。

結局、“自己犠牲をしてる感覚がない人”が強い。

いろんな現場を見てきたけど、うまくいってる場所って、だいたい同じ空気がある。
トップが安定してる。そして、その人は大体「自分がやるのが当たり前」っていう感覚で動いてる。
逆に、うまくいかない場所は、だいたい崩れ方も同じだ。「こんなにやってるのに」っていう不満が漏れ始めて、それが空気に伝染して、真面目に働いていた人たちから、静かにいなくなっていく。ポートランドで、そういう店は何度も見た。
トップに必要なのは自己犠牲なのか?やっぱり、トップに必要なのは『自己犠牲か?』と思うけど、本当に強いのは『それを犠牲だと思ってない人間』じゃないかと思えてきた。やるべきことをやってるだけで、周りが勝手に支えたくなる人。結果として、その人の周りに人が残るんじゃないかなと。
そう考えると私はトップの器じゃない。嫌なことはすぐ逃げるし、やりたくないことはやらない。しかも今も、虚無は消えてない。
でも、ひとつだけ分かったことがある。人は、言葉じゃなくて“動き”で信用されるということだ。




















