今回、SFのはっちメンバー美大生たちとバークレーにあるアニメーションスタジオ『トンコハウス』に訪問、監督のロバート・コンドウさんにインタビューに行ってきました。
トンコハウスとは、ピクサーでアートディレクターとして活躍していたロバートさんと堤さんによって設立されたアニメーションスタジオです。第一作の短編アニメーション「ダムキーパー( The Dam Keeper )」からアカデミー賞にノミネートされるなど、「トンコハウス」で作り出されるアニメーションは、世界各地で賞を受賞しており、現地SFの有名美大学に通う美大生たちやアニメーション業界の人達にとっては、ピクサーと並ぶくらいの超あこがれのスタジオでもあります。
そんな貴重なオフィスに潜入させて頂くチャンスを頂けたので、世界を代表するアニメーションスタジオの雰囲気はどんな感じなのか、そして何よりもロバートさんの素顔に迫るため、質問などをしまくってきました!!
インタビュー中は、とってもとーぉっても、あたたかいオフィスで、ロバートさんも面白くて謙虚な方で、ものすごーぉく楽しかった。
出来の悪い高校時代から、レストランでピザを作る日々。そして美大へ。
高校の頃は、友人と遊ぶことを優先してたとても出来の悪い生徒だったよ。卒業後はしばらくレストランでピザを作る仕事で働いていたんだけど、そこがかなり大変で、どうせ苦労をするなら好きなことのために労力を使った方が良いことに気づいたんだ。
その後はアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(美大)に18歳で入学したんだけど、周りの学生はすでに他の学位を取得していたり、卒業後の目標がハッキリしていたりと、とても熱心な人たちばかりで、僕も遅れをとらないよう必死に勉強したよ。早朝からデッサンや油絵のワークショップに行って、そこから授業に行って、午後8時くらいまで居残って、学校で宿題を終わらせてから帰宅、というのを月曜から土曜まで毎日してたね。
美大生時代に体調不良で授業を早退した事が、ピクサーで働くきっかけに。
ピクサーは、求人をいつもしている訳でもないし、募集内容もいつも違うんだ。ピクサーに入れる経緯は一人一人全く違っていて、僕の場合は、とてもラッキーだったんだ。
まだ僕がアートセンターで学生をしていたころ、ピクサーのハーレー・ジェソップ(のちのピクサー時代の上司)が学校を訪問するイベントがあったんだけど、僕は、スケジュールの都合でイベントに申し込むことが出来ない上にイベント当日は体調が悪くて授業を早退しようと教室を出て廊下を歩いていたら、僕が師事をしていたノーム・シュールマンという教授が偶然通りかかって、彼が僕に「これからランチミーティングがあるんだ」て教えてくれたんだ。で、僕は具合が悪いから車に戻るところだよ。ということを伝えたら、彼が「そのミーティングの相手にどういった授業を教えているかを見せたい。君のポートフォリオを貸してもらえないか?」って聞かれたから、僕は彼にポートフォリオを渡して車に戻ったんだ。しばらく昼寝をしてからまた彼に会った時、「君はピクサーに受かったみたいだよ」て言われてびっくりしたよ。
その瞬間は、もちろんすごく嬉しかったんだけど、その後、ピクサーから一切連絡がなかったから、別の南カルフォルニアにあるゲームデザイン会社でインターンシップを始めていたんだ。そしたら、間もなくしてピクサーから連絡がきて、北カルフォルニアにあるピクサー本社で面接を受けることになって、僕が憧れてたデザイナーさんたちにインタビューをしてもらったんだけど、最終的にピクサーからは「合否の結果が出るまで時間がかかる」と言われ、僕はそれを「丁重なお断り」と思ったから、とりあえずまたインターン先のゲーム会社に戻って働いていていたんだよ。
そこではスティーブン・オールズという、僕がとても尊敬し、素晴らしい上司でもあったデザイナーさんがいて、沢山のことを学べたんだ。のちにスティーブンから正社員のオファーをもらった時はとても嬉しかったよ。当然受けるつもりで、当時住んでたアパートの契約更新と会社の契約書にサインしようとしていたその日の朝に、ピクサーから電話がかかってきて、「正式にピクサーでの仕事をオファーしたい。」と伝えられた。僕がまさに家の契約更新サインをしようとアパートの管理会社へついて、車から出るまさにその瞬間にかかってきたんだ。
そんな中、当時の勤めていた上司、スティーブンの支持のもと、僕はピクサーのオファーを受けることにした。ゲーム会社でのポジションをオファーしてくれていたスティーブンが、僕のアーティストとしての向上のためにと、僕がピクサーを選ぶことを応援してくれたことにはとても感銘を受けたよ。短い間だったけど、スティーブンのもとで働ける機会を得れて本当の良かったと思う。そこで僕は、プロフェッショナルなアーティストのあり方、また人としてアーティストとして、どういった風に成長していきたいかを学ぶことができたんだ。
ピクサーに入社して初めて制作にかかわった『レミーのおいしいレストラン』
レミーのおいしいレストラン(以下、レミー)」は、僕にとって入社して初めて制作にかわった作品で、僕が入社した当時は「レミー」の製作が始まったばかりだったので、チームもとても少人数だったんだ。僕は、そのチームの中の3、4人目かのキャラクターデザイナーとして制作に加わることになったんだ。
ある日、”アートルーム”という構想中の新しいデザインが発表されるプレゼンルームみたいなところに呼ばれて、そこにはところ狭しとデザインが貼ってあって、中には カーター・グッドリッチ やドミニク・ルイスといった、僕の憧れのデザイナーさんの作品もあったんだ。そんな中、当時のアートディレクターに、そこに一つだけ空いてるスペースを指差しながら、「ロバート、あそこは君のためのスペースだよ」と突然言われたんだ。でも、僕は、そのスペースは、僕のヒーローのデザイナーたちが肩を並べて作品を発表しあう為のスペースだと考えていたから、とても怖かったよ。
でもそのかわり僕には ハーレー・ジェソップ という、素晴らしいメンター(上司)がいたんだ。プロダクション・デザイナーである彼は、僕に一つ一つの作業を熱心に指導してくれて、僕は映画の作り方をレミーを通して学ぶことができたんだ。だから、レミーは僕にとっては特別な作品だね。
ピクサーで求めている人材とは、新しいスタイルを開拓出来る人
ピクサーは世界的にトップレベルのアニメーションスタジオなので、常にピクサーを受けたい人からポートフォリオが送られてきていて、競争率はすごく高いんだ。その中で一番印象が良いのは、その人の感性や熱意がピクサーと一致している人。ピクサーは常に作品の見た目や雰囲気の新しい方向性を模索しているので、新鮮なスタイルを開拓することへの貢献ができる人こそピクサーが欲しがってる人材だと思うよ。
初めて日本を訪ねた時は、日系アメリカ人として戸惑いがあった。
僕にとって、トンコハウスは、Dice(堤大介さん)や Zen (三宅 大介さん)、トシと一緒に働けて、日本のことを学べる場所でもあるんだ。
また、プロジェクトを通して、初めて日本に行った時は、日本との本能的な繋がりや、ルーツを感じるだろうと思っていたんだけど、実際は少し違って、むしろ自分というものがいかにアメリカに育ったことによって形成されているかに気づかされたんだ。もちろん、日本の文化において尊敬することは沢山あるよ。公共での礼儀や周りへの気遣いにはとても驚かされたしね。
でも同時に戸惑いを感じることも幾つかあって、例えばトンコハウスの日本の共同製作チームに脚本や絵などを披露したとき、現地のスタッフからは表立ったリアクションがなかったんだ。でも後で話を聞くと、心の中では涙が出そうなほど感動してくれてたそうなんだ。僕がいたピクサーでは、何かの発表の際は周りのスタッフがいつも感情豊かにリアクションしていたので、その差が大きかったね。
でも色々と知っていくうちに、「日本人は感情を表に出さない」ということでは決してなく、感情表現をするにあたってTPOがあることを学んだ。飲み会や食事といった小規模な社交場の中ではとても感情豊かだけど、会議や集会といった大人数の場では静かだよね。これは僕にとっては予想もしていなかった日本人の習性だったよ。
トンコハウスの新作「ムーム」で感じた日本のアニメーションの会社の素晴らしさ。
トンコハウスの新作「Moom (ムーム)」は
、日本のアニメーション会社との共同製作だったんだけど、日本の会社と一緒に仕事をして素晴らしいと思ったのは、一人一人が作業に対してとてもひたむきなところだね。美しい作品を作ることにとても献身的で、非常に高い勤労モラルを持っていて素晴らしいよ。何事においても最高を極めたい、一つ一つのプロジェクトから学んで成長したい、という強い意志を感じたし、例えこちら側から彼らにとって未経験な作業を依頼しても、決して断ったり諦めたりはしなかったんだ。僕たちの望む形を実現するために懸命に努力をしてくれて、とても素晴らしかった。
一緒に働きたいと思うのは、向上心や吸収力がある、なんでもこなす努力家。
トンコハウスでは毎年、春・夏・秋にインターンシップを行っていて、今のところ募集しているのはインターンだけだよ。うちは小さなオフィスなので、フルタイムの社員があまりいない状況だけど、今後、長編映画などの大型プロジェクトをするにつれて社員さんが必要になってくるかもね。
時折契約ベースで仕事を頼む場合もあるけど、ほとんどは小さなチームで全てをこなさないといけないんだ。例えば、今はトシ(上記写真)がアニメーション、編集、画像処理やコンピングまでほぼ全てを一人でやってくれているんだよ。
僕たちが一緒に仕事をしたいと思う人は、トシみたいな努力家で、スポンジのように吸収力の高い人。彼は素晴らしい勤労意欲の持ち主で、とてもプロフェッショナルで、僕はトンコハウスを彼のように向上心のある人がいっぱいいる環境にしていきたいと思ってるよ。
実質的にアニメーターに求めるものはプロジェクトによって違うんだけど、例えば厳しい締め切りに直面している時は、時間内にきっちり仕事をやり遂げられる人を重要視するよ。
でも僕の本当の理想は、今は技術は一番じゃないかもしれないけど、ちょうどいい感じに成長過程にいる人。僕たちの指導によってその人がより成長できて、それでいて僕たちも一緒に学べることができる、という関係が理想だね。
もしそういう関係を気付く事ができたら、その人は仕事場で自分にとって過去最高の作品を作ることができるようになるし、僕たちにとっても刺激的な経験になると思うよ。
自分の人生のなかで最もつらい時は、ひたすら絵を描く。
誰だって人生においてつらい瞬間はあるわけで、人によって乗り越え方は違うと思うけど、僕の場合はとにかく仕事に打ち込むことだね。鉛筆を手に取ってひたすら絵を書くんだ。僕自身、自信を無くすこともたまにあるけど、結局それは時間の無駄だということにいつも気づかされるんだ。人生において時間は限られてるしね。
本当につらい状況に陥ったときは、それと一生懸命向き合う。自分に対して言い訳をするということは誰の為にもならないしね。でも、「自分は他の人に比べて劣っている」とか「自分は周りに理解されていない」と思ってしまうのは人間の性なので、大事なのはいかにしてその状況から抜け出せるかを見つけることだと思うよ。
でもそれはとても難しいことだし、僕自身が悩まないといったら嘘になるよ。だから、いい解決策があったら、是非僕にも教えてほしいよ(笑)
自分たちの信念がある作品をつくっていきたい。
これから、作品を作る上で、ジャンル的には全てにチャレンジしたいね。でも一番の希望は、自分たちが信念を持って支持ができるような作品を作ること。
もちろん、みんなに見てもらえるという意味で、失敗より成功の方が多いことが希望だけど、それでも万人受けしない作品を作ることは今後必ずあると思うから、そんな時でも「これが僕たちの作りたかった作品です」と自信を持って言えるものを作りたいね。
世界が広くて、自分がいかに小さいか。そして、その状況を自身の力で変えられるということ。
駆け出しのころはすべてを見据えるのは難しいことで、「どれだけ世界が広くて、どれだけ自分が小さいか」を理解することも、「その状況を自身の力で変えられる」ということを知るのも簡単ではないと思う。でも、同時に、アートを作るということ自体に、制作者を力づけるものがあると思うんだ。それは多くの人ができないことができる上に、人に何かを感じさせることができるということだから。
自分が駆け出しだったころに知っておきたかったことは沢山あるけど、それらを知らなかったことによって開かれた道もあるから、目の前にある状況と一生懸命向き合うことが大事だと思うよ。
ロバートさんにインタビューを終えての感想。インタビュー中のロバートさんは、とても気さくにお話をして下さって、とても優しくて、すごくあたたかい人でした。私のつたない英語でも一生懸命聞いて下さり、たくさんの質問に真剣に答えて頂いて本当にありがたかったんです(泣)しかも、時間を気にせず聞きまくる私に(インタビューは気づくと予定時間の3時間オーバー)嫌な顔一つせず、インタビューに応じてくれたロバートさんは神でした。しかも、サインまで頂いちゃいました!しかも、サインまで頂いちゃいました!ダムキーパー( The Dam Keeper )のイラストも!
そして、今回お邪魔させてもらった「トンコハウス」というスタジオそのものが、まさに夕暮れ時の放課後の学校のような、何か素敵なものが生まれそうな空間に包まれており、こんなところで、ロバートさんたちのようなあたたかく、才能豊かな人に囲まれて仕事できたら本当に素敵だなぁ。としみじみ思ってしまいました。